伊勢攻略記 

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1日目@


三重の全体像

先日のnにも三重県全体図を掲載したが、でかすぎてアレなので、もう一度三重の全体像を把握しておこう。

まず、三重というところは、下図のように、大きく分けると「北勢」「中勢」「南勢」「伊賀」「東紀州」の5エリアに分かれるらしい。

また、「南勢」の山側らへん一帯を「奥勢」と称することもあるようだ。

 

大雑把に言うと、現在の三重県は旧国名で言うと「伊勢」、「志摩」、「紀伊」の一部、「伊賀」の四つの国からできている。

「志摩」は「伊勢」の一部だったり分裂したり合併したりしているようだ。

「伊賀」が三重県というのは少し意外だね。てっきり奈良県かと思ってたよ、うん。

 

大昔の分類でいくと、

「紀伊」は淡路島や四国と一緒の「南海」に属していて、なんていうかもう完全に「あっちのほう」だったようだ。

江戸時代には紀伊には徳川吉宗を出したことで有名な、或いは江戸幕府との確執で有名な、紀伊徳川家があって、

伊勢の一部まで支配していたようだが、今では、尾鷲・熊野を中心とした三重県の最南部地域は「紀州」でありながら和歌山ではなく三重県に属している。

まあユーゴスラビアみたいなもんだろう。

 

北勢には四日市とか鈴鹿とか、工業ぽいところが多く、実質的に名古屋県だね。

いなべっていうのは最近の大合併のアレでできたところで、「員弁」とかいて「いなべ」と読むんだって。

その下の「菰野」は「こもの」。

 

「鈴鹿峠」は今は「亀山市」にあるわけなんだけども、大昔(奈良時代とかそういう感じ)は、鈴鹿の関は交通の超要衝で、

平城京と、伊勢の都を結ぶ重要拠点だったですよ奥さん。

 ↓↓↓↓↓↓↓↓日本三関↓↓↓↓↓↓↓↓↓

   ・鈴鹿

   ・不破(今で言う関ヶ原)

   ・逢坂(今で言う大阪と京都のまんなからへん)

 

ま、以上のようなことを踏まえて、最初の地図に少し情報を加えるとこんな幹事。

一応、お気に入りのマックスマップル1:100000「中部」に記載の重要観光スポットだけ記入したんだけど、

ピンク色で書いたところのうち、まあ知ってるかな、聞いたことあるかな、関東にも名が知れてるかな、と思うのは、

上のほうから順に、

伊勢神宮、鳥羽水族館、的矢湾、英虞湾、賢島、熊野の新宮ぐらいかね。信長の野望とかやってれば霧山御所も北畠君のいる場所ってことで知ってるよね。

 

意外なのは、三重と奈良・和歌山の県境の山は「台高山脈」って言うらしいんだけど、関西にしては生意気にそこそこ高い山もあって、

1700メートル近くの山もあるよ。

 

「青山高原」とか「湯ノ山温泉」てのは関西では随一のリゾートって言うか遊び場らしいんだけど、聞いた事もないよね。

 

あとね、この辺さ、伊勢に伊賀に紀伊でしょ、○州って言うときはね、

伊勢は勢洲っていうらしいよ。初めて聞いたよ。

紀州はよく聞くけどね。

伊賀はガシュウかね。と思ったら異臭だった。ちなみに志摩は死臭。なんだかひどいね。

 

歴史と地理の勉強になるっしょ。

理系の人には辛いかもね。

じゃあ朝起きたらまずは三重県庁行くよ三重県庁。

 


|・ω・)つ

朝起きて安濃SAから出発。

天気はいいよ

すぐつだ

三重県の県庁所在地つ。

ここ最近の合併ラッシュでつも合併しまくって誤魔化しているが、

合併ラッシュ前までは、日本の県庁所在地としては最小の人口(15万少々)を誇っていた村である。

県庁所在地の全力を振り絞っても東京競馬場とイーブンだぜ

 

今では周辺の寒村との弱者連合によって30万を少し下回る程度の小都市に発展していて、

その人口規模は函館と同等である。

(だからといって函館と同程度の知名度や重要度を獲得したわけではない)

 

つ という町の名前自体は、中学校ぐらいで各地の県庁所在地覚えるときに記憶に残る町ではあるが、

それはその町が重要だからとか、何度も聞くから自然に覚えるからとかじゃなくて、

単に一文字で珍しいからに過ぎない。

 

日々の生活、毎日のニュースや新聞の中でも、「津市」の二文字に触れる機会は三年に一度あるかどうかだろう。

 

そのぐらい、どうでもいい都市、津。

 

いままさに、われわれはその津へ赴こうとしているのだ。

上の地図を見てもらえば一目瞭然なのだが、県庁所在地つのICを降りたあたりは、

細長く均等に区画されていて、いかにも見渡す限りの田んぼです、といった様子だが、

実際はこんなかんじ。

見渡す限りの田んぼです。

山の上の右のほうに未確認飛行物体が写っています。

 

先が思いやられます。

それでもがんばって中心部っぽいところを目指します。

 

とりあえず三重のことを少し理解するために、駅の近くの三重県博物館を目指しました。

休館でした。

しかたがないので隣においてあったSLを写しました。

 

博物館がやってないので、仕方がないのでぐぐったりしたことを書くと、

 

「津」てのはもともと古語では「港」の意味です。

大昔(奈良時代とか飛鳥とかそういう感じ)には、この津市は「安濃津」と呼ばれ、おっきな港がありました。

このへんです。

超大昔、まだ日本列島が大和朝廷によって統一される以前、各地に有力な都市国家みたいな部族が散在したころ、

たとえば九州のクマソとか、島根のイズモとかみたいなかんじで伊勢にも国がありました。

この伊勢国は海運で栄えていました。

東国からの色々なものを、渥美半島の先っちょから船で運んで、伊勢の安濃津へ運んできたのです。

そっから鈴鹿峠を越えて畿内へ持ち込んでいたのです。

つまりいわゆる「大和朝廷」の東の玄関口だったんです。

どんぐらいでかかったかというと、中国の歴史書『日本風土記』に日本三大港のひとつに数えられているほど。

 

が、室町時代に大地震で津波だか水没だかで港は滅亡してしまい、今に至るってわけさ。

 

ちなみにここにはもういっこ故事にまつわる言葉があって、

上の地図の下のほうにある「阿漕」って地名、「あこぎ」って読むんだけど、

かつてこのあたりは阿漕ヶ浦って言って伊勢神宮に奉る神聖なお魚を取る場所で一般の人々は禁漁だったんだった。

ところが地元の漁民が密漁しまくって、そのことを「阿漕の漁夫」みたいに言うようになって、

関西人@(`ω´)@みたいにがめついことをアコギって言うようになったんだって。

 


|・ω・)ツ

博物館はダメだったのですぐ近くの津駅にむかう。

三重県が誇る県庁所在地ターミナル駅前はこんなだ。

ツえきの目の前のロータリーにある駐車場は生意気にも有料。

そこにちょろっと車を止めてそこらへんをウロウロすることにしよう。

TSU

T Tsu
S Station
U 

 

どうやらえきの向こう側が賑々しい。

 

津の市章はツツツ 花はつつじ なんでもかんでもつ

三重バス

 

まあなんとかこうやって必死に津駅周辺の写真を貼りまくって盛り上げようと思っても∴∵無∴∵( ・)∴∵( ・)∴ ∵理∵∴∵

 

田舎は田舎だってこった

 


|・ω・)つ県庁

駅から5分もかからず、

 

県庁です。

 

県庁に入って最初に目に飛び込んだのは

イセエビレ−ター。

 

みずらいが、イセエビは三重県の県の魚

 

 

県の魚だよ?

 

 

聞いたことないね

 

 

 

普通、どこの都道府県でも「県の花」「県の木」「県の鳥」がデフォで設定されている。

北海道ならハマナス、エゾマツ、タンチョウとかね。

 

 

しかし「県の魚」なんて初耳だね。伊勢県民必死だね。

しかも海老は甲殻類だから魚じゃないしね!

 

 

ちなみに、普通の三重の花とか木とかケモノとか鳥のエレベーターもあったよ

   シロチドリ            カモシカ          ハナショウブ           神宮杉

 

県庁舎の中には色々と三重県の必死なアイテムが展示されていて、

真珠で作った三重県とか

 

伊勢海老とか

 

 

かもしかとかだ。

 

県庁舎の中に百五銀行やら第三銀行やら三重銀行やらがある。

なんでもかんでも三なんだね。

 

 


 |・ω・)つまんが

県庁の地下には寂れきった商店街みたいなモールがあって、

そこの本屋でレアアイテムをゲットした!!!

AMAZONでも売ってない三重県の歴史漫画(¥1000)と津漫画(¥1000)だッ

読者のみんなには特別に、両方をチラッと見せてあげよう。でも訴えられたら消すよ

 

三重県の歴史漫画≪ダイジェスト≫

 

 

2001.3.22付朝日新聞三重版より
 「三重の歴史漫画」発刊 NPO漫画塾
三重からプロの漫画家育成を目指すNPO漫画塾「漫画王国」(永井芳司塾長)は、「三重県の歴史漫画」=写真=を発行した。問い合わせは漫画王国=電話059(222)7411=まで。


めっちゃクオリティ高いよ

5000冊しか刊行されていないから気をつけて

 

 

そして津漫画

 

 

 

こんなかんじ。

津の歴史がとってもよくわかるよ。

まじおすすめ。


|・ω・)三重県の県名

三重県の県名の由来

廃藩置県のときに、日本には300ぐらいの県が創設されたんだけども、伊勢・伊賀・志摩は大きく南北二つに分割された。

北の安濃津県と、南の度会県だ。

廃藩置県には県名を決めるためのルールがあって、原則として県庁所在地の名前がそのまま県名になることになっている。

安濃津県の県庁所在地は安濃津(現在の津)、渡会県の県庁所在地は渡会(現在の伊勢)だった。

ところが、津と伊勢は近すぎるので、安濃津県の県庁所在地はもうちょっと北にすることになって、今の四日市に移転し、県名もそれにあわせて変更になった。

四日市は当時、三重郡だったので北は「三重県」になった。

「三重」の由来は、ヤマトタケルノミコトが東国を征服して帰ってくる途中、

「もうめっちゃ疲れて足がガクガクです。三回ぐらいグニャグニャになるぐらい足だるいです。」とつぶやいたのに由来する。

北の三重県は、翌年にはやっぱり津が恋しいので県庁所在地を津に戻したんだけど、

県名は戻すのうっかりすべって忘れてしまって、そのまま「三重県」が定着しちゃったんだって。

うっかりしなかったら今頃「津県」だったね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう三重県庁には用はないよ

次へいこうか

 

 

 

 

 

 

 

 

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