ソラチ

岩見沢を過ぎると夕張山地に沿って進路を北寄りに変える。

ちょっと山っぽいところに入ると三笠、すぐに美唄だ。



びばい。

ここまでで30分。

ここらへんの国道12号線は日本一長い直線走路がある。

29キロだそうだ。


聖地





砂川。

ここまでで40分。

ゆっくりペースでしょ(^^)

ここらへんはずーtttっと、石狩川にちなんだ地名が続いている。

、(岩見沢は別として)、茶志奈井江、砂、滝、深、旭、上

「別=ベツ」と「内=ナイ」はアイヌ語で「川」だ。

覚えておきたまえ。

「幌=ホロ」も川だぜ。

どうも雰囲気的には「ホロ」のほうがでかくて深い川ってイメージだな、あってるかどうか知らないが。

砂川、滝川、深川、旭川、上川は、アイヌ語の邦訳地名だ。珍しいパターンだ。



このあたりの蝦夷地の地名を決めた役人どもは、完全にやっつけ仕事をしていたようで、

たとえば、「川が河口のあたりで蛇行して海岸線と平行して流れているところ」って意味の「オシャマンペッ」を「長万部」とか天才的な漢字変換をするの才能溢れる役人もいたのに、

ここの連中と来たらなぜかこの砂川〜上川まではわざわざ意味を日本語に訳している。まあそれでも、「深い川」とかだからお里が知れるってもんだが。

たしか砂川は邦訳じゃなくて、「川が分かれるとこ」みたいな意味だたような気がするが気のせいかもしれん。砂川で石狩川と空知川が分かれる。

空知川はおまえらの大好きな富良野へ向かう。

まあ道民にとって空知といえば

「ドレミファソラチド〜♪ドシラソファミレドー」の空知ジンギスカンのタレだがな。

しゃぶしゃぶのタレもあるよ。

あのおばさんたちの中に、おれの友達のお母さんがいたって噂でもち切りだ。




ところで、このあたりからお天気がよくなってきて、青空になった。

さすが、おれはハレハレ男だからな。

限りなく降り注ぐ不可能じゃないぜ




砂川過ぎるとすぐに空知川を渡り、おまえらの聖地、滝川だ。

昔は滝川といえばなんにもない。

一年に一度、冬の手前に、

羊の超群れがもわもわ羊蒸気出しながら大移動をするさまがお決まりのニュースになるぐらいで、

東京で言うと皇居のカルガモがどうしたとか、そんなやつだ。

とにかく、滝川といえば松尾ジンギスカンの聖地だったはずが、いつのまにか変わっているのだからオシオキキボンヌだ。

夕張山地を乱暴に貫く石勝線ができるまでは、

札幌から道東に行くにはこの滝川から空知川沿いに谷を渡っていくしかなくて、

それなりに栄えていたはずだが、

いまはもう特急も通過するほどに落ちぶれた。

いっそのこと昔の「空知太」に市名を戻すとか、

アカビラとか歌志内とか芦別とか弱者連合を組んで「空知市」とかにしてもいかがなものかと思う。

いずれにしろあと数年のうちに美貴様記念館ができるだろう。

そのぐらい圧倒的に郷土の知名度を高めたお方であることは間違いない。


深川



そうこうしているうちに最初の分岐点だ。


なお、深川留萌道は別料金って書いてるけど、はっきりいって無料なので安心するといい。

高速でも一般道でも所要時間かわらんけどね。



というわけで、ここで道央道とアリーベデルチ!(さよならだ!)

ここまで50分てとこか。

超ゆっくりでしょでしょ?



で、こっから90度進行方向が変わり、西へ。

GO WESTだ。

すぐに石狩川を渡る。


とにかく視界の彼方まで真っ直ぐだってことはわかってもらえると思う。

これで片側一車線の高速道路なのだから困る。

リニアモーターカーの線路だってもう少しカーブとかあるぜ。


          このへん↑
石狩川撮ろうともったんだが失敗した。



秩父別を抜けて、 沼田のあたりまで来ると石狩平野の端っこまでたどり着き、

暑寒別の山々の麓の丘陵地帯を走る。

道路はとにかくもう、こんな感じで無駄に整備されている。

下道走ったってかわらんて。

まあ、最近の田舎の高速道路はこんな感じで片側一車線なわけだが、しかも70キロ制限で、

のんびりやさんが70キロで走っていると、結構前が詰まる。今もそんなかんじだ。



こんなところに弾丸道路作る暇あったら、

もうちょっと四国の道路事情をよくしてあげて欲しい。

四国の国道とか、ここの路側帯より狭いんだぜ!



たしかに 北竜のヒマワリは有名だが、インターチェンジの名前にするとは必死だな

北竜にはダチョウ牧場もあるよ

フロントガラス汚いけど虫当たるからしかたないね


( ・(ェ)・)っ□石狩沼田幌新事件

  この事件は日本の熊害史上2番目にあたる悲惨な事件であり、大正12年8月21日から22日にかけて起こったものである。

  8月21日は沼田の恵比島部落で太子講祭りがあり、近くの村々から多くの見物者が集まっていた。
  祭りが終わり、帰途についた幌新部落の若者8人が、恵比島から4Kmほど離れた幌新小学校付近の山道に差し掛かったところ、
  道路脇のササヤブから突然クマが現れ、最後に1人で歩いていた少年に踊りかかった。
  しかし着物と帯にツメを引っかけたために、少年はこれをさき捨てて難を逃れた。
  この少年を見失ったクマは、先を歩いていた別の兄弟2人に追いつき、弟を一撃で撲殺、兄も重傷を負わされ、土中に埋めた。

  残る数人はそこから300mほど離れた持地乙松宅に逃げ込み、
  炉の火を強くしたり、屋根裏や押し入れの布団などに潜り込んだ。
  クマはこの家の回りをうろついていたが、やがて玄関の引き戸を壊して家の中に侵入した。
  死傷した兄弟の両親はスコップで立ち向かったが、父は一撃のもとに叩きのめされ重傷を負った。
  クマはなおも家の中で暴れ回ったが、人影がないためか、いったん引き返そうとした。
  ところが、息子2人が襲われて気が動転した母親がふらふらと玄関から出ていったため、クマはその母親をくわえて消え去った。
  やがて助けを求める叫び声と念仏の声が聞こえてきたという。
  その後、家の付近を探すと、生き埋めにされ瀕死の重傷を負った兄を発見し、収容した。

  この惨事はすぐに部落に伝わったが、これだけではなかった。
  同じ恵比島に住む猟師の永江政蔵は単身で山に入り、クマをしとめようとしたが、そのまま行方不明になった。
  24日にこの猟師はわずかな左足と、へし折られた村田銃という変わり果てた姿で発見された。
  また、同じ日討伐隊の最後尾にいた別の猟師が、中腹に潜んでいたこのクマに襲われ死亡、他の1人も重傷を負った。

  この事件では結局4人の死者と4人の重傷者を出した。
  このクマは24日に射殺され、胃袋からは人の骨や指などが大量に出てきたという。

おそらく萌えとか地名についているところはそうそうないと思うが、

萌えの起源についてウィキペディアで激論が行なわれているようだが、

それよりも遥かに昔から留萌は留萌だったのだからしょうがない。

「萌」を「もい」と読むのは天才だが、おかげで昔のドラマを思い出した。

「明日萌駅」を舞台にしたNHKの連続ドラマ。タイトルは忘れたが、ぐぐったら「すずらん」だった。

この明日萌駅は、本当は「恵比島」駅だ。

このページの背景にもなってるけど、「悲別 」も実在しないぜ。上砂川かどっかの駅だ。

「明日萌」とか、もう語呂があきらかにエロゲの影響だよね。



個人的には留萌は萌え市場に突撃すれば一定の村おこしができると思う。

留萌支庁を擬人化とかな。

おれてきにはやっぱり羽幌タンとか苫前タンに魅かれるね。

こんなイメージだ。

羽幌タン

苫前タンは絶対ドジっ娘キャラ。アホ毛あるよ!

 苫前タン

遠別はツンデレで。
遠別タン


 





ここで高速道路は終了して一般道に合流するわけだが、

追い越しできない一車線の高速道路よりも、

追い越しできる一般道のほうが巡航速度は速くて笑える

それにしても 留萌羽幌空知石狩碧水北竜妹背牛美葉牛

妹 萌 美 羽 水 碧 石 空 葉とかなんかアレだよねエロゲとかアニメみたいだよね